全日本カッター連盟
会長 高 山 久 明
カッターとともに歩む人生
2017年6月、第61回全日本カッター競技大会終了後の連盟会議において、初代神戸大学の鈴木三郎先生(神戸大学名誉教授)、第二代東京海洋大学の庄司邦昭先生(東京海洋大学名誉教授)から第3代目の会長を引き継ぐことになりました長崎大学水産学部出身の高山です。私とカッターとの出会いは、海なし県の信州から漁船員を目指して昭和46年4月に長大水産学部漁業学科に入学したこと、当時部員獲得で奔走頂いた熱心なカッター部先輩の勧誘、そして先輩の漕艇練習、全日本を目前にしていた先輩ら12人のオールさばきは実に力強く、美しく、感動して入部しました。
以降3年次の全日本まで合宿に明け暮れました。夏・新人戦・定期戦・春そして全日本合宿です。3年の海保大での全日本では決勝進出ながら4位という悔しい結果でした。後輩に「全日本優勝」を託すため、4年次でも機会があればと後輩の練習を見ていました。その折も折、4月、乗艇定員ぎりぎりで練習に励んでいた後輩が不注意で膝を骨折し、右舷が1欠という事態から、右舷で残っていた4年の私に急遽クルー復帰の要請があり、私は前年度の悔しい思いから、重い腰を上げクルーを引き受けたのでした。それから1ケ月、丸3週間の合宿は老兵に鞭打った大変厳しいものでした。現役時代は9番・7番のエンジンを漕いでいた私ですが、急造の1番として出場した昭和49年5月19日、館山の第18回全日本大会で、予選、決勝ともスタートダッシュ60本、その後も次々にダッシュがかかり、回頭も極め、他大学を5艇身以上離した圧倒的な勝利となり、長大水産の全日本初優勝をクルーとして後輩とともに味わう栄誉に浴しました。幾多の辛いきつい漕艇訓練に耐えても中々成果・結果として報われないことも多い中、青春時代カッターを漕ぎ終えて得た、友情・絆は一生の宝物です。ましてや皆で掴んだ全日本優勝では、得も知れぬ感激を味わい、カッターの魅力に取りつかれ、またその魅力が魔力に変わり、カッターと離れられない人生となりました。
カッターは一人では漕げない。競技ではクルー全員の気持ちが一つになって艇指揮の号令に合わせ、艇を進める。一人一人がカッターを漕ぐセンス、スピリット、シーマンシップを漕艇訓練から身に付け、極め、全日本を漕ぐ。カッター漕艇競技が真の団体競技と言える所以です。海況に応じ、如何に無駄なく艇を進めるか、常に考えながらカッターを漕いだ経験は、一つカッター漕艇の熟練に留まらず、カッターを卒業した後の自身の進路、人生の生き方にも活かされるものと思います。
現在、全国各地でOBや市民が参加するカッター大会が繰り広げられています。こうした機会にまたオールを握ってきつい練習を克服してきた青春時代を思い出し、元気を取り戻し明日への糧として頂くなど、生涯にわたってカッターとともに歩む有意義な人生を送って頂くことを期待しております。
近年、定期の試合開催や会場設定にも支障をきたすことが多くなってきています。大会実施に向けて種々の制約がある中、今後も各大学、高校でカッターを漕ぎ、カッターの魅力を獲得した学生が続けて輩出され、大会が継続して実施していけるよう、微力ながら伝統あるカッター競技大会の継続・発展に尽力したいと考えています。
全日本カッター連盟
前会長 庄 司 邦 昭
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2014年5月、第58回全日本カッター競技大会終了後の連盟会議において神戸大学の鈴木三郎先生(神戸大学名誉教授)から会長を引き継ぎました。
私は高校、大学ではサッカー部に属し、マリンスポーツとは縁遠い存在でしたが、実習授業の際に大学周辺で漕いだり、房総半島の富浦でカッターにセイルを付けた帆走実習を通したりしてカッターに親しむようになりました。東京海洋大学海洋工学部の前カッター部顧問であり、全日本カッター連盟の元会長の吉田卓也先生から、カッターとサッカーは一字違いだと言われ、カッター部の顧問を引き受けたときからカッター競技を見させていただいております。
海のカッターは陸のサッカーとは随分と違いはありますが、いくつかの共通点も感じています。たとえばチームプレイの精神がその一つで、一人でいくら頑張っても良い結果に結びつきません。また頭と眼は両スポーツとも大事な要素だと思います。カッターは単に体力のみでなく、眼で風や流れや周囲の状況を把握して頭で的確な判断を下すことは、勝利に向けて重要なことだと思います。
私自身、カッター競技に競技者として歴史を刻んだ訳ではありませんが、カッターを愛する皆様に自慢できることがあります。それは昭和32年6月23日に第1回全日本カッター競技大会が東京の晴海沖で開催されていますが、当時小学校4年生だった私は東京商船大学に勤めていた父に連れられて、お台場から観戦しました。それまではおそらく各地方ごとに開かれていたのかと思いますが、初めて全国の大学が一か所に集まって大会が開けるようになったと語ってくれた父の言葉に、歴史的な一歩を感じたものでした。
ロンドンの科学博物館には1829年の第1回のオックスフォード大学とケンブリッジ大学のボート競技で優勝したオックスフォード大学のエイトが保存されています。このエイトをみると動くシート(座席)もなくスウォート(thwart)に座って漕ぐ、まったく今のカッターをスマートにしただけの艇を使って対抗戦がはじめられたことが分かります。カッターは早慶レガッタのようなボート競技の源流でもあるわけです。
全日本カッター競技大会も平成26年に第58回を迎え、競技をする皆様の熱い思いを大会に向け、この大会がさらに歴史を積み重ねることを期待するとともに、カッター競技に対する多くの皆様のご理解が得られますように微力ながら尽力できればと思っております。
全日本カッター連盟
元会長 鈴木三郎
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カッターの魅力
私が、カッターボートを知ったのは、昭和36年4月神戸商船大学に入学した時でした。寮の同室である1年上の先輩から「カッター部に入らなければ商船大学生ではない。」と勧められ、入学したあくる日にカッター部の試乗会に連れて行かれ乗ったのが最初でした。それまで、小型の船と言えば、池や海岸で遊ぶ2人乗りの手漕ぎボートしか知らなかった私にとって、12人で漕ぐボートは大変大きくどっしりとしており安定感があり、先輩達の日焼けした筋骨隆々とした体を見て頼もしく引付けられるものがあり、その場で「入部します。」と言ってしまいました。
以後、毎日、鉛入りのオールを握り、奴隷の如く漕ぐ日が続きました。漕ぐ技術をマスターするにつれて欲が出、どのように漕ぐとスピードが出るのか、どのようにすればクルー12人が一つになり水すましのように整然と力強く漕ぐ事ができるのか、静かな海面では波のある海面では、静止状態から速度を上げるには、無駄なく回頭するには……と欲が尽きませんでした。カッターを漕ぐと言う、至って単純な動作の中に極めれば極めるほど難しい課題が沢山あることが解りました。
また、クルー12人と艇長並びに艇指揮の14人が一体となる団体競技でもあり、チームワークの醸成が大きな課題でもあります。個人個人が極めた技術をチームの中でそれぞれが一体化させるためには目的・目標を一つにし、克己的協同と団結力が求められます。 完成されたカッタークルーの橈漕の姿は、外から見ても内から見ても、無駄な動きが一切なく、あたかも機関車のピストンロッドのように、力強く大変美しいものです。
長さ9mのカッターボートとは言え、船を自分たちの力のみで、ある時は強風を圧して高い波浪を乗り切り、ある時は強潮流に逆らって進み、広いオープンな海面を、漕ぎ切ったという充実感は大変大きく、何物にも替え難いものがあります。カッターを漕ぐ魅力はこの達成感にあるものと思います。
このような魅力を、全国にある海事・水産系並びに海のスポーツとして活動する大学・大学校・高等専門学校等を活動の拠点とし、海に親しみながら市民と一体となり、全国に広めることが全日本カッター競技連盟の使命であり、私の使命であると存じます。関係各位のご支援を切にお願いする次第です。