記事紹介

「海の世界」1965年8月号

ッターで海の根性を鍛える

12人の漕ぎ手が左右に並び4メートル余のオールで水をかくカッター訓練は“海の根性”を鍛えるのにもってこいのスポーツだ。全日本カッター競技大会も毎年開催されているが、これはことしの同大会の大会審判長がつづるカッター礼讃の弁だ。(カットはカッターを力漕中のことしの優勝校・神戸商船大学クルー)  杉(すぎ) 浦(うら) 昭(あき) 典(のり)

ゴール・インを告げるピストルの号音が響き渡ると、力漕を止めたカッターではいっせいにオールが立てられる。
「かい立て」は端艇最高の敬礼であり、使い切ったはずの力を振りしぼってオールを立てるクルーの気力には悲壮感もまじって、礼を受ける観衆も襟を正さずにはいられない。思い出したように沸きあがる柏手を浴びて1隻、2隻と静かに漕ぎ帰ってくるなかに、一きわ目立つのは優勝艇神戸商船大学クルーである。汗と涙で泣いているのか笑っているのか分らないような顔、顔、顔。予選レース、決勝レースを通じ、彼らの見せてくれた見事な漕法は余暇のすべてを練習に打み込んだ努力の結晶である。

日本海軍の伝統

ところでカッターというのは、むかし日本海軍の軍艦に績み込まれたもので、救命艇としての目的よりも、主として兵員の基礎訓練用に使われた大型ボートのことである。艦載艇には、このほかにランチ、ピンネース、ギグなどと呼ばれる種類のものがあったが、今日でも商船大学や水産大学など船員養成のための諸学校、訓練機関では、必須教科としての端艇実習にカッターを採用しているところが多い。カッターの訓練用ボートとしての実績と伝統は、救命艇操法の習熟とシーマンシップの涵養にきわめて有効であると認められているのである。
通常、船舶にはその大きさや航路によって必要と認められる数の救命艇を績むことが強制されているが、乗組員もまたそれらのボートを確実に取扱い操縦できなければならない。救命艇にはエンジンをもつものや手動プロペラで推進できるものもあるが、そうでないものはオールで漕ぎ、マストを立て帆をかけて走るようになっている。
救命艇は内部に空気箱のような浮体を備え、舷側が高く、艇尾も艇首のように波を切り、どんな荒海でも操縦をあやまりさえしなければ十分乗り切れるだけの構造に設計されているが、カッターは訓練用であるから浮体は持たず、舷も低く、艇尾はトランサムと呼ぶ平板になっている。救命艇の艇尾を切断して平板を打ちつけたような型であるところからカッターと呼ぶのだという人もある。

排水量は1.5トン

カッターをご存じない方には、池や湖でみかける貸ボートのうんと大きいものを想像していただけばよい。長さ9メートル、中央部の幅2.45メートル、深さ0.83メートル、排水量1.5トン、もちろん木製であるから非常に大きいものである。エイトやフォアのようなレースボートほどスマートではないが、漕ぎ手12人が6人づつ左右に並び、長さ4.3メートルの太いオールで水をかく有様は豪快そのものである。
レースボートよりはるかに安定性、操縦性に勝り、かなりの風浪中でも漕ぐことができる。その上、ヨットほどシャープではないが、帆走の初期訓練からクルージングまでなんでもこなせる万能ボートである。
しかし、カッターを競漕艇として眺めるとき、エイトやフォアを漕ぎなれた人にとってはこれくらい不細工な代物はないという。構造にしろ、オールにしろ、その無雑作な設計には驚きあきれるばかりである。ところが、実はその無雑作とも見えるなかにカッターの合理性が存在する。なるほど、エイトのスピード感にくらべればカッターは鈍重に見える。が、それは陸上競技における短距離とマラソンを比較するようなもので、カッターにはエイトにない量感、力強さというものがある。とくにカッターレースはふつう行なわれるレガッタと異なり外洋に開く海面で行なわれる。静かなときばかりでなく、吹き荒れる風波のなかでも、どんなときでもレースができる、やらなければならないというところにカッターレースの醍醐味があるというものである。単なるオァスメンとシーメンのちがいでもある。

年一回点技大会開く

とに角、カッターでレースをやろう。そして世間の人に余り知られていないカッターというものを紹介し認識してもらおう。というわけで、カッターを持っている海事関係の大学有志が集まり「カッター漕法の向上発達と海上における技術の練磨」を目的として生み出したのが日本カッター連盟である。
昭和32年6月23日、東京で第一回全日本カッター競技大会が開かれ全国から8大学
が参加した。その後、当番校を定めて毎年1回初夏のころに大会を催し、加盟大学も11校となって本年度は第9回大会を開催した。
第1回より第8回に至る各大会の優勝校と開催地は次の通りである。
第1回 東京水産大学 (東京)
第2回 東京水産大学 (神戸)
第3回 農林省水産講習所 (呉)
第4回 神戸商船大学 (横須賀)
第5回 東京水産大学 (神戸)
第6回 東京商船大学 (館山)
第7回 東京水産大学 (呉)
第8回 神戸商船大学 (館山)

漕法に二つの型


第9回競技大会は去る5月16日、神戸港の東端、深江海岸の神戸商船大学沖で開かれた。参加クルーは東京商船大学、神戸商船大学、海技大学校、東京水産大学、水産大学校、日本大学、長崎大学、三重県立大学、鹿児島大学、防衛大学校、海上保安大学校、神戸海洋少年団OBの12校で、神戸商船大が昨年につづいて連続優勝した。
当日はあいにくの曇り空で気をもむばかりの天候ではあったが、幸いに風は弱く、海面に波も立たず、照りつける太陽の下よりも、出漕クルーにとっては涼しくてむしろ恵まれた条件になってしまった。午前中は予選の3レース、午後になって敗者復活、順位決定、決勝の各レースが行なわれたが、今回はとくに技倆が伯仲したため熱気に満ちた競技が展開された。
競技コースはスタート・ラインから回頭点までの1千メートルの距離を往復するもので、各コースの回頭点には旗竿をつけたブイを設置し、これを反時計まわりにまわる規則になっている。大体11~3分で往復できるが、天候や潮流によっては大きく変動する。さらに勝敗のカギは、回頭法の巧拙、艇長すなわち舵手の技倆、挺指揮の判断力にもかかっている。しかし、なんといっても問題は漕法そのものにある。どの大学も多年の経験と理論的研究を重ね、これならと思える方法を持ち込んでいるはずである。各レースとも、参加大学クルーは昨年より以上の力量を発揮した。全レースを通じて感じられたのは、漕法に二つの傾向すなわち商船大学系に多いオーソドックス型と水産大学系にみられる強力型に分れていることである。
第1回、第2回の大会で連続優勝の東京水産大学、第3回大会優勝の農林省水産講習所(現水産大学校)は、いずれもむかし海軍の金剛クルーの用いた「立ち金剛」と呼ばれる方法で他大学クルーを圧倒した。とくに第一回大会における東京水産大学の「立ち水産」すなわち漕ぎ入れたオールのブレードで水をつかむと同時に足を蹴ってストレッチャーの上に立ちあがり、体を弓なりにして重みをオールの握り手にかけて大きく漕ぐ方法は、他大学クルーを全く寄せつけないほどの強力であった。このとき2位となった東京商船大学の漕法はエイトの経験を生かした合理的なものであったが、練習不足のせいかカッターに溶け込めず1位との差は大きかった。しかし、危なげのないその漕ぎ方は、他チームのその後の漕法研究の軌範となったようである。
「立ち水産」を見て驚愕した各チームは真剣に対策を考えた。水産講習所がこの方法を真似て成功したものの、クルー全員が立ちあがることによる抵抗、その反動によるカッターのピッチング、それに最大の欠点であるストローク(オールが水をかく距離)の短かさなどが、カッターレースの性格から考えても、他大学クルーに全面的に受け入れることを躊躇させた。「立ち水産」の長所は漕ぎ入れの深さにあるが、第4回大会で神戸商船大学クルーは従来の漕法に深く強く漕ぐことを努めて優勝した。その後「立ち水産」はいつともなく影をひそめ、そのかわりに深く強くそしてピッチ(毎分オールが水をかく回数)をできるだけ早く漕ぐ、いわゆる強力型が多くなった。これに対するオーソドックス漕法は旧海軍式に近いもので、ストロークをできるだけ長く、一本一本確実に水をかこう、そのためにピッチは余り早くないという方法である。

競技大会に紅一点

神戸商船大学クルーは典型的なオーソドックス漕法で終始した。予選、決勝の両レースとも28枚のピッチを守り、12本のオールはあたかも1人の漕ぎ手に操られているように斉一なストロークを繰り返した。しかも、オールのブレードは漕ぎ入れと同時に最大限まで水中に没し、引き切ったオールは水面をなめるように返され、1点の非もない鮮かな漕ぎ振りであった。決勝レースで2位に入った防衛大学校もまたオーソドックス型である。が、漕ぎ入れとブレードの突っ込みに物足りなさがあるせいか、3位の水産大学校と抜きつ抜かれつの大接戦を演じた未辛勝した。
数年前までは参加チームの間に力量の差が甚しかったが、本大会ではわずかな差にとどまった。特別参加の神戸海洋少年団OBチームは大差で破れたとはいえ、高校生ばかりのクルーで、しかも12番漕手には紅1点の松原ひろみ嬢が坐って最後まで力漕し喝采を浴びたあたり敬服に値する。
カッターレースではわずかな力量の差、ちょっとした乱れがもとで勝敗が反転する。しかも、年々クルーはかわり、伝統だけで王座を保てるものでないとすれば、3連勝を目指す神戸商船大学も「守勢成り難し」という言葉を銘記し、より技術の錬磨と向上に努めなければなるまい。
(神戸商船大学助教授)